ややもす

偽物のような風景と、ものさし。

責めたくない

堤防

一時期よりもだいぶおさまったけれど、誰かを責めたい妄想が止まらない時期があった。今もやや残ってる。
責めるというか「一方的に正論で叩きのめしたい妄想」みたいなもので、これがなんとも甘く後味の悪い憂さ晴らしにもなってない憂さ晴らしみたいなもんで。(いや、なってないんだけれど)

例えば道を歩いていて、あるいはお店を見て回っていて、ふと目に入ったおじさんがちょっと不機嫌な顔をしているだけで、その人がとんでもなくモラルの無い人間、非常識な人間だと勝手に設定づけて、脳内でそのおじさんに反社会的な行動をさせて、これまた脳内でそれを罵るという、幼稚な妄想。
正論で人を責めるってのはほんとうに酷いことだとおもう。でも、ものすごい快感と誘惑。

ちょっと前に、はてブで「頭がいい人ってどんな人?」系のエントリがいくつか上がってて、自分がパッと思いついたのは「思い通りにコントロールする力がある人」で、良いこと、悪いことかかわらず、思ったように人や物、状況までもコントロールする知識・技術のある人が頭がいい人なんじゃないかなと思った。
それはなんでかっていうと、何かを(とりわけ自分を)コントロールするのが下手な時に、よく「あーあたまわるいなじぶん」と思うから。

この卑しく幼い、あたまのわるい、責めたい気持ちってのはたまらなく後味が悪い。おええってなる。
腹が立つのはいい、怒りを覚えるのもいい、正義感が湧き出てくるのもいい、でもそこで何かを責めようという気持ちが湧き出てくる自分であるのは嫌だし、ありもしない妄想をしてまでそういった甘い(しかし後味の悪い)晴らせない憂さ晴らしみたいなことをしたくない、つまり、もうちっとばかし頭のいい人なりたいのです。

ちなみに考え方とは別に、ラジオ体操を毎朝したり、ペン字の練習をしたり、早めにお風呂にはいったり、きちんと食事をとったり、外に出かけたりすることががわりと効果的だと感じて、よーするに体力をつけて、気持ちを整えて、清潔にして、そしてからだも気持ちも外に出ていくのが、健やかで良いのではないかと感じている今日このごろです。